2013年07月20日

憲法尊重義務を国民に課すことは法的に可能か

2013-05-20 10:29:15

テーマ:憲法

出来るとも言えるし、出来ないとも言えるような問題である。

出来ると言いたい人は出来るとする根拠を並べ立てるだろうし、出来ないと言いたい人は出来ないとする根拠を並べ立てる。
議論の前提条件が異なるのだからどこまで行っても交わることがないようなテーマである。

こういう問題を考える時の一つの解決法は、問題を分割、小分けして議論の前提条件を共有化することである。
憲法尊重義務、などと大上段に振りかぶるから、議論が拡散する。

憲法を大事にしなくていいのか、と問い直せばいい。
憲法が嫌いな人は憲法なんかいらない、というかも知れない。
これは理屈の問題ではなく好き嫌いの問題だから、議論はそこで終わり。

色々な議論の中には、こうした類の問題もあるから、よく見極めて議論を進めることだ。
憲法は大事だ、憲法を大切にしましょう、という大まかな合意が成立したところで次に出てくるのが、大事な憲法だが完全無欠な憲法かどうか、ということだ。

細かく上げれば色々瑕が見えてくる。
分かったつもりでいたことも、丁寧に読み解いていくと段々分からなくなることもある。
これ、ちょっと変じゃない?と声を上げたくなるときもあるだろう。

そういう瑕が見え始めたときに、それではそういう瑕がある憲法はどの程度に大事な憲法なのか、ということになる。
無謬の憲法、などという思い込みがあれば憲法には一切手を触れてはならない、などということになるだろうが、憲法の無謬性を信じない人は、憲法は大事だが変えてはいけないというものではない、というぐらいの感覚になるはずだ。

憲法の尊重義務が憲法の不可侵性を強調する概念として使われるのであれば、普通の人は反対するだろう。
他方、憲法尊重義務が憲法に書かれていても憲法の改正権限を制約するものではない、という認識が共有されれば、この問題はあまり深刻な対決を招かないで済むかも知れない。

国民には憲法尊重義務があることを憲法に明記すべきか、という問題である。
憲法尊重義務は、立憲主義の立場から国権の行使に当たる公務員に対して課される義務だということを強調する人たちは、憲法尊重の義務を国民にまで拡げることには最後まで反対するだろう。
立憲主義という観念が希薄になって、憲法は要するに国の基本ルールを定める最高法規だからみんなで護りましょう、という立場に立つと、憲法を尊重するのは当たり前ではないか、ということになる。

どちらの立場からの立論も可能である。
私は、現時点でわざわざ一般の国民に憲法尊重義務を及ぼそうという真意がどこにあるかをよく見極めて答えを出せばいいと思っている。

まあ、異論があるのに無理をすることはない。
憲法を大事にしましょうという精神的なことを強調したいだけだったら、何も今、憲法を改正して、如何にも立憲主義を弱めてしまうような外観を作りだすようなことはしない方がいい。

これが私の意見である。
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2013年07月18日

憲法改正について国民的合意が形成されていることを確認するための目安を探る

2013-05-25 10:46:16

テーマ:憲法2


なんのかんの言っても、世論調査は大事である。
世論を無視して憲法改正をいくら声高に主張しても、国民がついてこないのであればピエロになってしまう。

憲法改正については世論調査を繰り返して、国民的合意が成立しているな、と思えるほどになってから具体的な憲法改正の作業に入るのが穏当である。
今は、その時期に非ず。

日一日と憲法改正の機運が遠のいているように思う。

しかし、だからと言って、憲法の改正が無理だから憲法の解釈の方を変えようなどといった無理筋に持っていかれるのも困る。
いくら大事な憲法であっても不具合なところはあるのだから、基本的には時代に合わせて憲法も変えてもらいたい。

自民党は、具体的に改憲草案を提示して国民に憲法改正の必要を説いているが、自民党の改憲草案はどうもあまり魅力的ではない。
多分この案では憲法改正について国民的合意を形成することは無理だろうと思っている。
自民党の改憲草案は、憲法改正について国民的合意を形成するための一つの叩かれ台だぐらいな感覚で今後の憲法改正議論の遡上に乗せるのがいい。

どんなことでも叩き台、叩かれ台がないと議論の集約が進まないものだ。
大変な努力をして改憲草案を作成された皆さんには申し訳ないが、この際自民党改憲草案は叩かれ台を一手に引き受けていただきたい。

さて、問題は、どんな状況になったら憲法改正について国民的な合意が成立したと言えるようになるかということである。

憲法の改正に賛成という人が国民の過半数でなければいけないが、過半数は過半数でも憲法の改正に賛成が51で反対が49、などということではいけない。
過半数が賛成で、よく分からないが30、反対が10くらいのバランスがほどほどである。
このくらいになれば、まあ憲法改正についての国民的合意が整った、と言ってよいのではないだろうか。

自民党がこれからやるべきことは、国民の過半数が支持し、反対は精々が国民の1割程度のところまでになるようなマイルドな新たな改憲草案を作り上げることだ。
一部の人だけで作り上げた自民党の改憲草案を絶対視したり、これに固執し過ぎないことだ。
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2013年07月15日

後出しジャンケンにならないためにーやはり自民党の憲法無視は看過してはならない

2013-07-14 14:07:45

テーマ:---

護憲的改憲論者である私は、本当に困っている。
今の自民党は、私がいた時の自民党ではない。

為政者として現実にやっていることはそれほど悪くないのだが、頭の中、腹の中で考えていることをそのままさらけ出されてしまうと、とてもついていけなくなる。

それ違うよ。
私たちはそんなことは言ったことがないよ。
そこまで行っちゃあダメだよ。

そういうことが、実は目立っている。

参議院選挙が終わるまで蓋を閉じておこうかと思ったが、後になってなんで言ってくれなかったんだ、とか、そんなの、後出しジャンケンだよ、などと言われないように、気がついたことは言っておくことにする。

自民党の今の憲法改正草案はひどい。

これは、私が自民党にいた当時には影も形もなかったものだ。
衆議院の憲法調査会や自民党の憲法調査会で論陣を張っていた当時の自民党憲法族の私たちがいなくなってから、憲法族ではない人たちが寄ってたかって自民党のそれまでの積み上げてきた憲法議論を壊して、随分とみっともない憲法改正草案を作ってしまったものだ。

異議あり、と声を上げたいところだが、既に自民党を離れていたから何も口を挟めなかった。
これからも口を挟めるようなポジションには立てないと思うが、いつまでも口を閉じておくことはできない。
参議院選挙で自民党の議席が増え、自民党の政治基盤がますます強くなるだろうから、もはや私の意見は誰にも影響を与えないだろうが、それでも言っておく。

自民党の今の憲法改正草案は、ひどい。
かつての自民党憲法族の一人として私はそう思う。
2005年11月22日の結党50周年自民党大会で発表された新憲法草案(旧草案)の方がよかった。

なんでこんなにひどくなったのか。
この間の事情については、社民党の自民党「日本国憲法改正草案」全文批判(2013年4月18日社民党第53回受任幹事会)に詳しい。
以下、引用しておく。

社民党の自民党「日本国憲法改正草案」の全文批判より引用:

「2012年4月27日、自民党は「主権回復60年」に向けて「日本国憲法改正草案」(以下「改正
草案」)を決定・発表した。すでに自民党は2005年11月22日の結党50周年党大会で「新憲法
草案」(以下「旧草案」)を発表していたが、今回の「改正草案」は、この「旧草案」の再検討や
補強の範囲を大きく超えた内容となっている。天皇の元首化や「国防軍」の設置、緊急権条
項、国旗・国歌の尊重義務化など、05年の「旧草案」では現実可能性に配慮し控えられとい
われる復古的な要素が全面的に取り入れられたのが特徴だ。

「旧草案」は、作成時に検討された「国柄」、「国旗・国歌」、「天皇の元首化」、「国防の責
務」、「家族の保護」などのあからさまな表現が抑えられ、首相公選制導入、二院制の見直
し、憲法裁判所の設置、国家緊急権の創設などの大きな改編にも踏み込まなかった。実現
可能性や他党への配慮を優先させたためと考えられた。

今回の「改正草案」は、自民党が野党時代に政権から離れた自由な立場で、国民同意や
他党の同調の得やすさを考慮せずに作られたため、むしろ自民党の「本音」を素直に反映し
た内容となっている。

※「新憲法草案」(旧草案)までの経緯
04年6月に公表された自民党憲法調査会憲法改正プロジェクトチーム「論点整理」以降、同年11
月には同党憲法調査会憲法改正案起草委員会「憲法改正草案大綱(たたき台)」(※中谷元委員長
が自衛隊幕僚幹部に協力を依頼していたことが発覚するなどして白紙撤回)、05年4月に「新憲法起
草委員会各小委員会要綱」、05年7月「新憲法起草委員会・要綱第一次素案」、同8月「新憲法第1
次案」、同10月「新憲法第2次案」と積み重ねられてきた自民党の改憲に向けた取り組みの一つの到
達点が、2005年11月22日の結党50周年党大会で発表された「新憲法草案」である。自民党が具体
的な条文案としてまとめたのはこれが初めて。」
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2013年07月14日

看過してはならない憲法無視

憲法63条は、「内閣総理大臣その他の国務大臣は答弁又は説明のため出席を求められたときは、出席しなければならない、と定めているが、6月24日及び25日に開催された参議院予算委員会に出席要請を受けながら、安倍総理他の閣僚は参議院予算委員会に出席しなかった。

マスコミはこの問題を軽く受け流してしまい、現在までまったく問題視していないが、これはいけない。

誰もが口を噤んでいるとこういう無法・違法が罷り通ってしまう。
このまま終わってしまうと、内閣の国会軽視、憲法無視が既成事実化してしまう。
いけないことはいけないと言っておかなければならない。
いくら選挙で勝ったからといって、憲法を無視するようなことはしてはならない。

マスコミは会期末における総理に対する問責決議を茶番劇だと一蹴した。
私も茶番だと思った。

しかし、よくよく調べてみるとこれは茶番劇ではなくもっと深刻な問題だった。

そのことに気が付いた人は、ごく一部のようである。
気が付いたけれど、本当にはこの問題の深刻さが理解できていないためにあっという間にその人たちの脳裏から消え去ってしまったのだろう。

安倍内閣の憲法無視は、やはり改めさせなければならない。
まずは、事実の認識の共有をしておこう。

マスコミが報道しなかった問責決議を紹介しておく。
この問責決議の理由に示された事実関係に間違いがないのだったら、やはりこういう憲法無視はどんなことがあってもするものではない。

「本院は、内閣総理大臣安倍晋三君を問責する。
右、決議する。

理由

安倍内閣は、参議院規則第38条第2項に則り正式な手続きを経て開催された参議院予算委員会の出席要求を拒否し、6月24日、25日の両日に渡って同委員会をん欠席した。
これは、国務大臣の出席義務を規定した日本国憲法第63条に違反する許しがたい暴挙である。

安倍内閣は出席拒否の理由として、平田健二参議院議長の不信任決議が提出されたことをあげているが、会期末で日程が制約される中でおよそ正当性のない不信任決議案で国会審議を遅延させ、更には同案の処理を先延ばしにしているのは他ならぬ与党であり、また同案採決の条件として予算員会の開催をしないことを条件にしていることからも、予算員会の開催を妨害していることは明白である。

安倍内閣は質疑通告さえも拒否したばかりではなく、正式に文書で予算委員長が出席要求したところ、署名のないメモで出席拒否する旨回答した。国権の最高機関である国会をこのように愚弄する行為は前代未聞であり、議会制民主主義を根底から揺るがせものである。

憲法に違反して国民主権を蔑ろにし、我が国の立憲主義をも踏みにじろうとする安倍晋三内閣総理大臣の責任は極めて重大である。
よってここに、安倍晋三内閣総理大臣の問責決議案を提出する。」

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第22回憲法フォーラム(7月5日)

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2013年07月12日

憲法改正のハードルを高くしたのは日本側だということを覚えておこう

2013-05-27 09:26:18

テーマ:憲法2

衆議院と参議院で同じような結論になるのだったら、憲法改正の発議要件が3分の2であってもそう高いハードルを課しているということにはならない。

そうそう簡単に最高法規である憲法の規定を変えられても困る。
やはり簡単には変えられない大事な原理原則が書き込まれているから、最高規範としての重みが出てくる。
頻繁に変えなければならないような規定を憲法に書いてしまいがちなのが問題なので、憲法を変えなかったからといってそれだけで何か遅れているとか、時代錯誤だということにはならない。

憲法の施行以来65年間一字一句も憲法の条文には手を加えられていないが、それはそれでいい。
65年間それでやってこれた、ということにはそれなりの理由があり、またそのことには相応の価値がある。
直したいところはいくつかあるが、無理をすることはない。

日本政府が作成した昭和21年3月2日案は、
「第百五条 此ノ憲法ノ改正ハ国会之ヲ発議シ国民ニ提案シテ其ノ承認ヲ求ムベシ。
      国家ノ発議ハ両議院各々其ノ総員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非ザレバ其ノ議決ヲ為スコトヲ得ズ。
以下略」
としており、現在の憲法96条と内容的に変わりはない。

GHQが提案した一院制国会を二院制にしたのは日本側であって、日本の統治機構の根幹部分にはしっかり日本側の意向が取り込まれており、その限りで日本側の自主性もある程度尊重されていた、と言うべきであろう。
結局、憲法の改正手続のハードルを実質的に高めてきたのは日本側だということだ。

したがって、占領国から押し付けられた憲法だから、まずは憲法96条を改正しよう、などと言う言い方は妥当しない。
押し付け憲法論も全面的には当て嵌まらない、という一つの証左である。
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2013年07月11日

動態的憲法研究会の役割

2013-05-27 10:33:48

テーマ:憲法2

今日も午後6時からクリエイト紀尾井町303号会議室で動態的憲法研究会を開催する。
参加者は少ないが、面白い。
段々面白くなるから、もう止められない。

止められない、止められないカッパエビセン、みたいなところがある。

知れば知るほど面白い。
語れば語るほど語る種が尽きなくなる。
私たちの小さなサークルで独り占めしていてはもったいないような話ばかりである。

どこまで書けるか分からないが、この動態的研究会の雰囲気だけは多くの皆さんに伝えていきたいと思っている。
そろそろ中間とり纏めの時期である。

私の、これまで書き溜めてきた憲法に関する様々なブログ記事と、南部義典さんの、如何にも憲法研究者らしい、論理的、学究的な視点で書かれた様々な論稿を一纏めにして本にして公表したいと思っている。

私のブログ記事は大して役に立たないだろうが、南部さんの論稿は読みごたえがあるはずだ。
さらっと読むなら私のブログ、しっかり読むなら南部さんの論稿、ぐらいに受け止めていただければ幸いだ。
目的は、動態的憲法研究というジャンルを確立し、国民の憲法に対する関心を高めるためである。

まとめて読めばそれなりに面白いことが沢山出てくる。

動態的憲法研究会は、憲法改正についての国民的合意を形成するための大事なツールだというくらいに受け止めていただければ幸いだ。
今のところ動態的憲法研究を標榜しておられる学者、研究者、有識者他にははおられないはずである。
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国民投票に最低投票率を導入することの必要性を指摘する石破氏を支持する

2013-06-03 10:39:56

テーマ:憲法2

バランス感覚に優れた政治家である。

憲法96条のみの先行改正を声高に主張する人が多い中で、よくぞ自民党の石破幹事長は国民投票制度の問題点を的確に指摘したものだ。

憲法改正の発議要件を衆参両議院の総議員の3分の2以上としている現在の憲法改正手続条項を過半数にまで引き下げようという動きに対して、憲法改正の発議要件を緩和するなら国民投票に最低投票率制度を導入することも同時に検討しなければならない、という指摘は実にバランスが取れている。

自民党の改憲論に水をかけるようなものだが、今はこの程度の物言いがいい。

このくらいの沈着冷静さが自民党の執行部にあるのであれば、自民党の暴走はそう心配しないでいいだろう。
私自身はあくまで国防軍の創設には反対するが、石破氏の沈着冷静さがあれば、たとえどんな結果になっても現実には一般の国民の生活はそう大きくは変わらないはずだ。

今日の動態的憲法研究会や憲法フォーラムでも石破氏の発言を高く評価する声が上がるはずだ。
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2013年07月09日

第21回憲法フォーラムー参議院選挙を語る

posted by 憲法フォーラム at 22:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

インターネット選挙大賞の創設について

今日インターネット選挙大賞選考準備会が開催されるが、インターネット選挙大賞の選考要領について下記の通り提案したい。

(インターネット選挙大賞の選考要領案)

1 インターネット選挙大賞を創設する社会的な意義を明確にする必要
インターネット選挙運動解禁の趣旨が正しく反映されるような選挙運動が実施されたか否かの検証のための選挙大賞の創設であることを強調していただきたい。

2 選挙大賞選考基準
選考基準はなるべく客観的で公正なものにして、選考基準そのものの客観性、公正性、妥当性が検証可能なものにする必要がある。

3 選考対象者からのヒヤリングの実施 
選考に際しては、事前に選考の対象者から選考の対象にしていいかどうか等をインターネットを通じて問い合わせ、その回答結果も参考にすべきである。

4 選考対象者からヒヤリングする項目
選考対象者に問い合わせをする項目については、一般の方々からの提案も参考にした方がいいと思われるが、最低限下記の事項は含むべきであろう。
1 インターネット選挙運動専従員の有無
2 選挙運動従事予定者に対しての選挙研修会・選挙講習会開催の有無
3 選挙期間中の選挙法令コンプライアンス・相談体制構築の有無
4 選挙違反事態が生じた場合のタスクフォース整備の有無
5 選挙運動の効果検証チームの有無

5 選考期間
選考の期間は、開票終了後1週間を目途とすることがいい。
時間が経過するとそれぞれの陣営のスタッフがいなくなったり、選挙関係の資料が紛失してしまう虞がある。

6 選考結果の公表の時期
参議院選挙の熱が冷めず、しかも3年後の選挙に向けての準備がスタートする時期を見計らって選考結果を公表することが望ましい。
posted by 憲法フォーラム at 05:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

憲法改正について国民的合意が形成されていることを確認するための目安を探る

2013-05-25 10:46:16

テーマ:憲法2

なんのかんの言っても、世論調査は大事である。
世論を無視して憲法改正をいくら声高に主張しても、国民がついてこないのであればピエロになってしまう。

憲法改正については世論調査を繰り返して、国民的合意が成立しているな、と思えるほどになってから具体的な憲法改正の作業に入るのが穏当である。
今は、その時期に非ず。

日一日と憲法改正の機運が遠のいているように思う。

しかし、だからと言って、憲法の改正が無理だから憲法の解釈の方を変えようなどといった無理筋に持っていかれるのも困る。
いくら大事な憲法であっても不具合なところはあるのだから、基本的には時代に合わせて憲法も変えてもらいたい。

自民党は、具体的に改憲草案を提示して国民に憲法改正の必要を説いているが、自民党の改憲草案はどうもあまり魅力的ではない。
多分この案では憲法改正について国民的合意を形成することは無理だろうと思っている。
自民党の改憲草案は、憲法改正について国民的合意を形成するための一つの叩かれ台だぐらいな感覚で今後の憲法改正議論の遡上に乗せるのがいい。

どんなことでも叩き台、叩かれ台がないと議論の集約が進まないものだ。
大変な努力をして改憲草案を作成された皆さんには申し訳ないが、この際自民党改憲草案は叩かれ台を一手に引き受けていただきたい。

さて、問題は、どんな状況になったら憲法改正について国民的な合意が成立したと言えるようになるかということである。

憲法の改正に賛成という人が国民の過半数でなければいけないが、過半数は過半数でも憲法の改正に賛成が51で反対が49、などということではいけない。
過半数が賛成で、よく分からないが30、反対が10くらいのバランスがほどほどである。
このくらいになれば、まあ憲法改正についての国民的合意が整った、と言ってよいのではないだろうか。

自民党がこれからやるべきことは、国民の過半数が支持し、反対は精々が国民の1割程度のところまでになるようなマイルドな新たな改憲草案を作り上げることだ。
一部の人だけで作り上げた自民党の改憲草案を絶対視したり、これに固執し過ぎないことだ。

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憲法を語ればワクワク感が蘇るはず

2013-05-27 04:57:36

テーマ:憲法2

何故皆さんは、もっと憲法について語らないのだろうか。

日本の憲法ほどドラマティックな経過を辿って成立し、しかも社会の変革に有効に機能した憲法はないはずだ。

魔法がかかったようである。
奇跡が起きたようである。

天皇主権の国家から国民主権の国家にどうやったら日本を転換させることが出来るか、ということを、皆さん、ご自分が国家の指導者になったつもりで考えられたらいい。

新しい国造りの基本構想を提示することが必要だ。
しかも、基本構想を示すだけでは足りない。
基本構想を実現するためのプロセスまで明示し、かつこれを実現するための手段まで用意しなければならない。

日本の憲法を語るということは、日本の近現代の歴史を総括するということである。
日本の憲法を語るということは、GHQの占領政策の当否を総括するということである。
ワクワク、ドキドキ感を持たない人は随分鈍感な人たちだ。

こんなに面白いものはない。
憲法を語るということがこんなにも面白いものだということを語ることを、これからの私の仕事の一つにしていこうと思っている。

昨日、民主党茨城県連青年局の人たちの政治塾で憲法について語らせていただいた。

語っていて、やはり面白い。
私の話に熱心に耳を傾けてくれている人ばかりだから、ますます面白い。
私のブログの読者の方がこれぞという資料を示してくれるから、そういう資料の存在を皆さんに伝えていくだけでも面白い。

どこの国のことか、と思うような話だが、決しておとぎの国の話ではない。
昭和20年3月10日の東京大空襲で一面瓦礫の山、廃墟と化した東京がどうやって今日のような都市に生まれ変わることが出来たのか、そのプロセスを辿ったらいい。
昭和20年8月6日原爆を投下され、まさに廃墟と化し、70年間草木も生えないと言われた広島がどうやって蘇ることが出来たのか、そのプロセスを辿ったらいい。

私たちは、つい2年前東日本大震災に見舞われ東北地方を中心に大変な被害を蒙った。
しかし、私たちは、決してその被害の大きさに打ちひしがれてはいない。
何度も叩きのめされながら、それでも見事に起ち上がっている。

起き上がり小法師のようなものだ。
叩かれても叩かれても起ち上がる。
その力がどこから出てくるか。

やはり一人一人の家庭から、そして、その実態はよく見えないが、日本という社会の中から起ち上がる力が湧いてくるのだと思う。

こういう国が他にもあるのかどうかは、知らない。
多分ないのではないかと思っている。

これだけの力の源泉をどこに求めるか。
私は、現在の日本国憲法体制の中に求めたい。

専制国家ではないこと、共産国家ではないこと、議会制民主主義がそれなりに機能している国家であること、戦争をしないことを宣言している国際協調・国際平和主義国家であること、基本的人権を尊重し、基本的に個人の自立を促す国家であること。

多少の不備や欠陥がある日本の憲法だが、しかしこの憲法体制だからこそ現在の私たちの存在がある、ということをよく噛みしめる必要がある。

憲法を英語で言うと何になるか。
The Consistution of Japan

憲法を語れば色々なことが見えてくる。
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2013年07月08日

これだけの周到な意見表明が出来る橋下氏が普段はなんであんな粗雑な振る舞いをするのか

2013-05-27 10:59:37

テーマ:憲法

橋下徹氏の「私の認識と見解」という文書を読んだ。

一読して、これが周到に作られた文書であることを了解した。
この文書にもケチを付ける人はいるだろうが、法律家が書く文書としてはこれで十分である。
言うべきことはチャンと言っている。
弁明すべきことはきちんと弁明している。

この文書を作成した人はクールである。

橋下氏が自らこの文書を作成したのであれば、橋下氏は本来頭の切れるクールな弁護士だと言ってよい。
普段からこのくらいの文章を作成し、発信する癖を付けておけばよかった。

考える先に口から言葉が飛び出すタイプのようだから、5秒や10秒で何かを喋らなければならないテレビ番組に登場するタレントとしては稀有の才能を示してきたが、ぶら下がりの取材のような時にも同じような感覚で対応してきたのが拙かった。
ツイッターも拙かった。
なんであんなに粗雑な物言いをするのだろうか、と思ってきたが、まともな文章を書ける弁護士だということがよく分かった。
橋下氏のこれまでの稚拙で品のない応対で維新に対する世間の評価が激落し、皆元気を失っていたと思うが、橋下氏の今回の見解表明で、辛うじて立ち直る切っ掛けを見い出した。

私は、この文書に示されている橋下氏の見解を全面的に支持する。

ここに現われている橋下氏は、聡明な弁護士である。
虚勢を張らなければ、人間としても信頼していい。
政治家としても立派に仕事を果たすことが出来る。

え、そんなにいいの?
そう思われる方もおられるだろうが、今橋下氏が置かれている状況を踏まえて何らかの弁明書を出すとしたら、大体はこんなものになる。
そんなに奇抜なものは出せないから、言葉遣いが実に重要になる。

よく出来た文書である。
この文書を作成した方に心からの敬意を表明しておく。

これ、橋下氏が自分で書いた文書ですよね。

以下引用:

「私の認識と見解

2013年5月27日
           橋下徹

■私の拠(よ)って立つ理念と価値観について
 まず、私の政治家としての基本的な理念、そして一人の人間としての価値観について、お話ししたいと思います。

 いわゆる「慰安婦」問題に関する私の発言をめぐってなされた一連の報道において、発言の一部が文脈から切り離され、断片のみが伝えられることによって、本来の私の理念や価値観とは正反対の人物像・政治家像が流布してしまっていることが、この上なく残念です。

 私は、21世紀の人類が到達した普遍的価値、すなわち、基本的人権、自由と平等、民主主義の理念を最も重視しています。また、憲法の本質は、恣意(しい)に流れがちな国家権力を拘束する法の支配によって、国民の自由と権利を保障することに眼目があると考えており、極めてオーソドックスな立憲主義の立場を採(と)る者です。

 大阪府知事及び大阪市長としての行政の実績は、こうした理念と価値観に支えられています。また、私の政治活動に伴って憲法をはじめとする様々(さまざま)なイシューについて公にしてきた私の見解を確認いただければ、今私の申し上げていることを裏付けるものであることをご理解いただけると信じております。今後も、政治家としての行動と発言を通じて、以上のような理念と価値観を体現し続けていくつもりです。

 こうした私の思想信条において、女性の尊厳は、基本的人権において欠くべからざる要素であり、これについて私の本意とは正反対の受け止め方、すなわち女性蔑視である等の報道が続いたことは、痛恨の極みであります。私は、疑問の余地なく、女性の尊厳を大切にしています。

■いわゆる「慰安婦」問題に関する発言について
 以上の私の理念に照らせば、第二次世界大戦前から大戦中にかけて、日本兵が「慰安婦」を利用したことは、女性の尊厳と人権を蹂躙(じゅうりん)する、決して許されないものであることはいうまでもありません。かつての日本兵が利用した慰安婦には、韓国・朝鮮の方々のみならず、多くの日本人も含まれていました。慰安婦の方々が被った苦痛、そして深く傷つけられた慰安婦の方々のお気持ちは、筆舌につくしがたいものであることを私は認識しております。

 日本は過去の過ちを真摯(しんし)に反省し、慰安婦の方々には誠実な謝罪とお詫(わ)びを行うとともに、未来においてこのような悲劇を二度と繰り返さない決意をしなければなりません。

 私は、女性の尊厳と人権を今日の世界の普遍的価値の一つとして重視しており、慰安婦の利用を容認したことはこれまで一度もありません。私の発言の一部が切り取られ、私の真意と正反対の意味を持った発言とする報道が世界中を駆け巡ったことは、極めて遺憾です。以下に、私の真意を改めて説明いたします。

 かつて日本兵が女性の人権を蹂躙したことについては痛切に反省し、慰安婦の方々には謝罪しなければなりません。同様に、日本以外の少なからぬ国々の兵士も女性の人権を蹂躙した事実について、各国もまた真摯に向き合わなければならないと訴えたかったのです。あたかも日本だけに特有の問題であったかのように日本だけを非難し、日本以外の国々の兵士による女性の尊厳の蹂躙について口を閉ざすのはフェアな態度ではありませんし、女性の人権を尊重する世界をめざすために世界が直視しなければならない過去の過ちを葬り去ることになります。戦場の性の問題は、旧日本軍だけが抱えた問題ではありません。第二次世界大戦中のアメリカ軍、イギリス軍、フランス軍、ドイツ軍、旧ソ連軍その他の軍においても、そして朝鮮戦争やベトナム戦争における韓国軍においても、この問題は存在しました。

 このような歴史的文脈において、「戦時においては」「世界各国の軍が」女性を必要としていたのではないかと発言したところ、「私自身が」必要と考える、「私が」容認していると誤報されてしまいました。

 戦場において、世界各国の兵士が女性を性の対象として利用してきたことは厳然たる歴史的事実です。女性の人権を尊重する視点では公娼(こうしょう)、私娼(ししょう)、軍の関与の有無は関係ありません。性の対象として女性を利用する行為そのものが女性の尊厳を蹂躙する行為です。また、占領地や紛争地域における兵士による市民に対する強姦(ごうかん)が許されざる蛮行であることは言うまでもありません。

 誤解しないで頂きたいのは、旧日本兵の慰安婦問題を相対化しようとか、ましてや正当化しようという意図は毛頭ありません。他国の兵士がどうであろうとも、旧日本兵による女性の尊厳の蹂躙が決して許されるものではないことに変わりありません。

 私の発言の真意は、兵士による女性の尊厳の蹂躙の問題が旧日本軍のみに特有の問題であったかのように世界で報じられ、それが世界の常識と化すことによって、過去の歴史のみならず今日においても根絶されていない兵士による女性の尊厳の蹂躙の問題の真実に光が当たらないことは、日本のみならず世界にとってプラスにならない、という一点であります。私が言いたかったことは、日本は自らの過去の過ちを直視し、決して正当化してはならないことを大前提としつつ、世界各国もsex slaves、sex slaveryというレッテルを貼って日本だけを非難することで終わってはならないということです。

 もし、日本だけが非難される理由が、戦時中、国家の意思として女性を拉致した、国家の意思として女性を売買したということにあるのであれば、それは事実と異なります。

 過去、そして現在の兵士による女性の尊厳の蹂躙について、良識ある諸国民の中から声が挙がることを期待するものでありますが、日本人が声を挙げてはいけない理由はないと思います。日本人は、旧日本兵が慰安婦を利用したことを直視し、真摯に反省、謝罪すべき立場にあるがゆえに、今日も根絶されていない兵士による女性の尊厳の蹂躙の問題に立ち向かう責務があり、同じ問題を抱える諸国民と共により良い未来に向かわなければなりません。

 21世紀の今日、女性の尊厳と人権は、世界各国が共有する普遍的価値の一つとして、確固たる位置を得るに至っています。これは、人類が達成した大きな進歩であります。しかし、現実の世界において、兵士による女性の尊厳の蹂躙が根絶されたわけではありません。私は、未来に向けて、女性の人権を尊重する世界をめざしていきたい。しかし、未来を語るには、過去そして現在を直視しなければなりません。日本を含む世界各国は、過去の戦地において自国兵士が行った女性に対する人権蹂躙行為を直視し、世界の諸国と諸国民が共に手を携え、二度と同じ過ちを繰り返さぬよう決意するとともに、今日の世界各地の紛争地域において危機に瀕(ひん)する女性の尊厳を守るために取り組み、未来に向けて女性の人権が尊重される世界を作っていくべきだと考えます。

 日本は過去の過ちを直視し、徹底して反省しなければなりません。正当化は許されません。それを大前提とした上で、世界各国も、戦場の性の問題について、自らの問題として過去を直視してもらいたいのです。本年4月にはロンドンにおいてG8外相会合が「紛争下の性的暴力防止に関する閣僚宣言」に合意しました。この成果を基盤として、6月に英国北アイルランドのロック・アーンで開催予定のG8サミットが、旧日本兵を含む世界各国の兵士が性の対象として女性をどのように利用していたのかを検証し、過去の過ちを直視し反省するとともに、理想の未来をめざして、今日の問題解決に協働して取り組む場となることを期待します。

■在日アメリカ軍司令官に対する発言について
 また、沖縄にある在日アメリカ軍基地を訪問した際、司令官に対し、在日アメリカ軍兵士の性犯罪を抑止するために風俗営業の利用を進言したという報道もありました。これは私の真意ではありません。私の真意は、一部の在日アメリカ軍兵士による犯罪を抑止し、より強固な日米同盟と日米の信頼関係を築くことです。一部の在日アメリカ軍兵士による犯罪被害に苦しむ沖縄の問題を解決したいとの思いが強すぎて、誤解を招く不適切な発言をしてしまいましたが、私の真意を、以下に説明いたします。

 日本の安全保障にとって、米国との同盟関係は最も重要な基盤であり、在日アメリカ軍の多大な貢献には、本当に感謝しています。

 しかしながら、多くの在日アメリカ軍基地がある沖縄では、一部の心無いアメリカ軍兵士によって、日本人の女性や子どもに対する性犯罪など重大な犯罪が繰り返されています。こうした事件が起きる度に、在日アメリカ軍では、規律の保持と綱紀粛正が叫ばれ、再発防止策をとることを日本国民に誓いますが、在日アメリカ軍兵士による犯罪は絶えることがありません。同じことの繰り返しです。

 私は、日本の外交において日米同盟を重視し、在日アメリカ軍の日本への貢献を大いに評価しています。しかし、人権を蹂躙され続ける沖縄県民の怒りは沸点に達しているのです。在日アメリカ軍兵士による犯罪被害に苦しむ沖縄の現状をアメリカに訴え、何としてでも改善してもらいたい、という強い思いを持っております。

 アメリカ軍内部において性暴力が多発し、その統制がとれていないことが最近、アメリカで話題となっています。オバマ大統領もアメリカ軍の自己統制の弱さに相当な危機感を抱き、すぐに効果の出る策はないとしつつ、アメリカ軍に綱紀粛正を徹底するよう指示したとの報道がありました。

   このような状況において、私は強い危機感から、在日アメリカ軍司令官に対して、あらゆる対応策の一つとして、「日本で法律上認められている風俗営業」を利用するということも考えるべきではないかと発言しました。すぐに効果の出る策はないとしても、それでも沖縄の現状を放置するわけにはいきません。私の強い危機感から、ありとあらゆる手段を使ってでも、一部の心無い在日アメリカ軍兵士をしっかりとコントロールして欲しい、そのような強い思いを述べる際、「日本で法律上認められている風俗営業」という言葉を使ってしまいました。この表現が翻訳されて、日本の法律で認められていない売春・買春を勧めたとの誤報につながりました。さらに合法であれば道徳的には問題がないというようにも誤解をされました。合法であっても、女性の尊厳を貶(おとし)める可能性もあり、その点については予防しなければならないことはもちろんのことです。

 今回の私の発言は、アメリカ軍のみならずアメリカ国民を侮辱することにも繋(つな)がる不適切な表現でしたので、この表現は撤回するとともにお詫び申し上げます。この謝罪をアメリカ軍とアメリカ国民の皆様が受け入れて下さいます事、そして日本とアメリカが今後とも強い信頼関係を築いていけることを願います。

 私の真意は、多くの在日アメリカ軍兵士は一生懸命誠実に職務を遂行してくれていますが、一部の心無い兵士の犯罪によって、日米の信頼関係が崩れることのないよう、在日アメリカ軍の綱紀粛正を徹底してもらいたい、という点にあります。その思いが強すぎて、不適切な表現を使ってしまいました。

   アメリカは、世界で最も人権意識の高い国の一つです。そして、人権は世界普遍の価値です。アメリカ国民の人権と同じように、沖縄県民の基本的人権が尊重されるよう、アメリカ軍が本気になって沖縄での犯罪抑止のための実効性ある取組みを開始することを切に望みます。

■日韓関係について
 日本と韓国の関係は現在厳しい状況にあると言われています。その根底には、慰安婦問題と竹島をめぐる領土問題があります。

 日本と韓国は、自由、民主主義、人権、法の支配などの価値観を共有する隣国として、重要なパートナー関係にあります。日韓の緊密な関係は、東アジアの安定と繁栄のためだけでなく、世界の安定と繁栄のためにも寄与するものと信じています。

 現在、元慰安婦の一部の方は、日本政府に対して、国家補償を求めています。

 しかし、1965年の日韓基本条約と「日韓請求権並びに経済協力協定」において、日本と韓国の間の法的な請求権(個人的請求権も含めて)の問題は完全かつ最終的に解決されました。

   日本は、韓国との間の法的請求権問題が最終解決した後においても、元慰安婦の方々へ責任を果たすために、国民からの寄付を募り1995年に「女性のためのアジア平和国民基金(略称アジア女性基金)」を設立し、元慰安婦の方々に償い金をお渡ししました。

   このアジア女性基金を通じた日本の責任を果たす行為は、国際社会でも評価を受けております。国連人権委員会へ提出されたレポートもアジア女性基金を通じての日本の道義的責任を歓迎しています。また国連人権高等弁務官であったメアリーロビンソンさんも基金を評価しています。

 しかし、残念ながら、元慰安婦の一部の方は、このアジア女性基金による償い金の受領を拒んでおります。

 日本は過去の過ちを直視し、反省とお詫びをしつつも、1965年に請求権問題を最終解決した日韓基本条約と日韓請求権並びに経済協力協定も重視しております。

 日韓基本条約と日韓請求権並びに経済協力協定を前提としつつ、元慰安婦の方々の心に響く償いをするにはどのようにすればいいのかは大変難しい問題です。韓国政府は最近、日韓基本条約とともに締結された「日韓請求権並びに経済協力協定」における元慰安婦の日本政府への請求権の存否の解釈が未解決だと主張しております。韓国も法の支配を重んじる国でしょうから、日韓基本条約と日韓請求権並びに経済協力協定という国際ルールの重さを十分に認識して頂いて、それでも納得できないというのであれば、韓国政府自身が日韓請求権並びに経済協力協定の解釈について国際司法裁判所等に訴え出るしかないのではないでしょうか? その際には、竹島をめぐる領土問題も含めて、法の支配に基づき、国際司法裁判所等での解決を望みます。

   私は、憎しみと怒りをぶつけ合うだけでは何も解決することはできないと思います。元慰安婦の方の苦しみを理解しつつ、日韓お互いに尊敬と敬意の念を持ちながら、法に基づいた冷静な議論を踏まえ、国際司法裁判所等の法に基づいた解決に委ねるしかないと考えております。

 法の支配によって、真に日韓関係が改善されるよう、私も微力を尽くしていきたいと思います。」
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政治の世界でも直観が正しいことが多い

2013-04-21 11:43:53

テーマ:憲法

平成11年度の年金白書に既に年金給付額の減額や厚生年金制度の廃止まで政策の選択肢として挙げていたのだから、少なくとも厚生省は年金問題で目晦ましなどしていない、と霞が関関係者の方から抗議を受けた。

当時の政府与党、あるいは当時の政治そのものが年金問題の深刻さを表面化させないようにしていたのではないか、というのが私の問題提起だったのだが、私のブログの読者の方から今度は、そんなことも知らなかったのか、若い人たちは自分たちは年金を貰えなさそうだということで年金保険料を払わなくなっていた、という指摘を頂戴した。

なんとか年金制度を維持しなければならないということで、当時の人たちはあれこれ理屈を捻り出して100年安心プランなどと言ってきたのだが、どうも、皆さん、大丈夫、大丈夫、と自己暗示をかけてきた感がある。
私自身も自民党に所属していた関係もあって上層部から流れてくる情報に依拠して、この年金制度改革プランで大丈夫だろうと軽信していたきらいがある。

私の直観は、ちっとも大丈夫みたいじゃなさそうだよ、と囁いているのだが、社会保障の専門家でも厚生労働省の行政に明るい厚労族でもなかったから、何らの異議申し立てをすることなく政府与党の立てた年金制度改革プランに従ってきた。
今となれば、あれは間違いだったかも知れないとは思うが、特別の知見がないと政策選択の誤りを具体的に指摘するのは難しい。

そういう私自身の反省を踏まえて、改めて皆さんに年金制度の改革を考えていただきたいと思っている。
多分、自民党も民主党も抜本的年金制度の改革は出来ないだろうと思っているからだ。

選挙を控えている人たちは、実に弱い。
理屈では分かっていても、いざ実行という段になると腰が引けてくる。
小泉氏か橋下氏ぐらいの腕力がないと年金制度の改革は出来ないだろう、というのが私の見立てである。
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2013年07月07日

靖国参拝考ー再掲

2013-04-24 11:38:10

テーマ:憲法

靖国参拝考
こういうことはやはり慎ましやかに行うことが相応しい。

私も現職の時は靖国参拝国会議員団の一人として靖国神社を参拝させていただいたが、黒塗りの自動車を連ね、黒い服を着た集団が大勢ぞろぞろと揃って昇段参拝する姿はちょっと異様かも知れない。

靖国を参拝することにそれぞれどれだけの思いが籠っているか、ということをよくよく考えていただきたい。
身内に軍神がおられ靖国に祭られているからお参りするというのは、自然のことである。
靖国に祭られている方々を偲び、鎮魂の祈りを捧げ不戦の誓いを新たにするというのであれば、これは国政に関わるものとして称賛されるべきものである。

しかし何らの思いもなく、単にみんなが行くから行く、というのでは、如何にも国家主義者のみなさんが靖国で気勢を上げているような感じになる。
ご本人たちは何とも思わないだろうが、周りにはどう見えるか、ということも考えておいた方がいい。

小泉総理のように周到に計算して参拝するならともかく、理屈はさておいて総理や外務大臣、官房長官は今の段階での靖国参拝は見送られた方がいい。
靖国問題に人一倍神経を尖らせている中国や韓国の政治指導者の顔を雑巾で撫でて、わざわざ中国や韓国内での反日感情を煽るようなことはしないものだ。

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2013年07月05日

国会議員の定数削減を考える視点

とかく人は自分がいないと世の中は回らない、ぐらいのことを言う。

現職の民主党の参議院議員が定数削減の弊害を訴えていたが、なに、心配することはない。
私が国会を離れてまもなく4年になるが、世の中はよくしたもので、私がいなくてもちゃんと回っている。
4年前に私を蹴落として国会に議席を確保した民主党の衆議院議員も今はいないが、国会議員の一人や二人、いてもいなくても世の中は回っている。

いなくて困るのは総理ぐらいで、後は誰がいなくてもそこそこに回る。

総理ではない参議院議員の定数を2割ぐらい減らしても、仕事が出来るチームリーダーとこれを支える有能なスタッフがいれば仕事は仕上がる。

どんなに数を揃えても、指導力がなく先見の明もないリーダーがトップに座っていたのでは碌な仕事にはならない。
大丈夫。
いなくても大丈夫。
誰かがきっと穴を塞いでくれる。

私自身の経験に基いて断言しておく。
皆さん程度であれば、誰かが代わりをやってくれる。
参議院議員の仕事が自分の性に合わないと思ったら、さっさと辞めても大丈夫だ。

今の国会議員で、絶対にこの人が辞めては困ると思うような人は見当たらない。
これは、皆さんの批判ではない。
私を含めて、今の国会議員の職務はその程度のものだった、という述懐である。

自分の役割を果たしたら、後進に席を譲ればいい。

2割削減で忙しくなるというが、国会議員が仕事で忙しくなることはいいことだ。
金策で忙しいとか、票集めで忙しいというよりも遥かにいい。
私は定数削減には賛成だ。
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2013年07月03日

消失した憲法改正の機運

2013-05-23 11:23:05

テーマ:憲法

消失した憲法改正の機運

憲法熱し易く冷め易い、と言われてきた私たちだが、例年の如く今年も5月3日の憲法記念日を過ぎたら憲法改正に向けたムードが一気に冷めてきた。

維新の橋下氏の失速が大きかったようだ。

国民世論を糾合できるような政治家が現われて、大多数の国民が共感できるような憲法改正議論を進めてくれれば、細かい議論はさておいてこの人の話に耳を傾けてみよう、本当にどっちを選べばいいのか判断はつかないが、こういう立派な人が一生懸命勉強してこれがいいと言っているのだから、最後はその人の判断に従おう、ぐらいの感覚でいる人が多かったのに、橋下氏は一挙に危ない人、になってしまった。

自民党が言うから危ない。
橋下氏が言うから危ない。
こんな風に短絡的に決めつけてしまいがちなのが、世論である。

危ない、と思われたら憲法の改正など言い出せなくなる。
憲法の改正をすることが国民の死活的利益に関わることで、憲法の改正で国民の生活が飛躍的に向上するのであれば、憲法の改正に向けたムードが盛り上がるはずだが、今はそういう雰囲気がどこにもない。

やはり、危なくない人たちに憲法を語ってもらった方がいい。

今度の参議院選挙が終わったら、憲法改正推進国民会議を発足させることだ。
憲法改正を語っても危なくない、元衆議院憲法調査委会の会長の中山太郎氏や憲法調査委会の委員であった私などがそのメンバーにでもなれば、随分落ち着いた憲法改正議論が出来るようになるはずだ。
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2013年07月02日

憲法を改正する事が出来るような柔軟な社会にすることが大事(再掲)

2013-04-11 13:12:04

テーマ:憲法

憲法の改正というよりも、憲法を改正することが出来るような柔軟な社会にすることが大事
私は、自分自身の経験からあまり国会議員を信用していない。
中には優れた人もいるが、そう大したことがない国会議員もいる。

厳しい選挙を勝ち抜いて国会に議席を獲得しているのだから、当選できなかった候補者よりもよほど優秀で有能なんだろう、などと思うと、これが大間違い。
当選できなかった人や立候補自体を見送った人、さらにはおよそ立候補の意欲を持っていない人の方が遥かに有能で役に立つ、ということもある。

現在の選挙制度は、決して国民にとって役に立つ有用人材の選抜試験ではない。

それが証拠に、7年前の郵政解散総選挙では本当に選挙に出ることなど考えたこともないようなフリーターまがいの人も当選してしまった。
フリーターだからいけないとかお茶らけだからいけない、というのではない。
本当はもっと国民のために役に立ってくれそうな人を押しのけてしまったのが惜しい、ということだ。

4年前の政権交代選挙も多分そうだったろうと思う。
反自民、非自民であれば、誰でも当選しそうな勢いだった。
仕事が出来るか出来ないか、役に立つか立たないか、という基準で選ぶなら当然選ばれてもおかしくない仲間が大量に落選してしまった。

今の選挙は、人材を選抜する制度としては出来が良くない。

昨年12月の衆議院選挙で私のかつての仲間が大量に復活していったが、この人たちは役に立つ人たちばかりである。
だから、ある程度は信用していいとは思うが、だからと言って何でもかんでもすべて国会議員に任せておけばいい、ということにはならない。

どうやら今度の参議院選挙の争点は、憲法になりそうだ。
とりあえずは憲法改正手続条項の改正だけを争点にしようとしているが、単に参議院で3分の2の議席を獲得するための方便として憲法改正手続条項の改正問題を取り上げることには異議がある。

憲法の改正という大事な問題を国会議員だけでは決めないで、国民全体で議論して改正が必要な条項や足りない条項を必要に応じて追加できるような国民本位のしなやかな社会に変えていきましょう、というのでなければ困る。

大阪の橋下氏の狙いは、多分そこにある。
憲法9条の改正で国軍を創設し、戦争が出来る国に変えようという人たちとはちょっと違うはずである。
そういう違いの分かる人が国会に多ければ、まずは憲法改正手続条項の改正だけを先行させることにはそう大きなリスクはない。

いよいよこれからが正念場である。

憲法について熱く語っていただければ幸いである。

ツイート コメント(1) ペタ 2013-04-03 11:07:21

テーマ:憲法

料理の目線で憲法を考えよう
「<第10回憲法フォーラムの映像ー私たちの日常生活から憲法を考えよう >

国民の実感

私たちの身近なところから憲法を考えてみよう、

“いつだったでしょうか。
終戦の際に憲法がどんなにか役に立ったというお話をフォーラムで伺ったのがとても印象的でした。

こんなことがあっては絶対にいけない。
こんなにも悲しいこと、苦しいこと、悲惨なことがある。
二度と戦争があってはならない。
そんなことを学校の授業や戦争を経験した方、書物や映像から学びました。
でも憲法がというところの観点からはほとんど考えてみようとしたことがありませんでした。

そして・・・
今、私は毎日食事作りをしている中で!?
お味噌汁や煮物。
我が家では頻繁に出します。

その時の出汁、前は結構な割合で顆粒の出汁をスーパーで購入し使用。
けれども今は、ほとんど毎日、鰹節、昆布、煮干し・・・そう、今は煮干しの頻度が多いかしら。
これで出汁を取っています。

けれどもこの出汁、全然目立たない。
黄色や赤や緑の食材のように目に見えて盛り付けが綺麗とか、この切り方がいいとかなかなか分かりにくい。
でも毎日毎日具材を変えてお味噌汁や煮物は出て来る。

具材が変わっているのはわかるけれど、出汁はほとんど私の自己満足の域でもあるかしらとも思います。
特に忙しい朝の時間、出汁の味まで味わっている暇は皆ないだろうなーと思いながらも、できるだけ美味しく出来るだけ体にいいものを・・・そんな願いから作る日々。

でもほんのたまーーーーーーーに、
お味噌汁がおいしい〜♪
この煮物いいね〜♪
と言われると、待ってましたとばかりに、
これね、出汁をねっ・・・・・
と私の演説会のスタート。
わかっているのかわかっていないのかの反応。

具材のように分かりやすさはないけれど、縁の下の力持ちのようにとても大きな大きな力、担っている重要な役割って世の中たくさんあるのよね、と思う。

長くなりましたが、憲法のお話、私には出汁のことにかぶせて考えてしまっていました。
今日もすみません。」

これは、私へのメッセージの一部である。
今朝の私のブログ記事に対するコメントとして頂戴した。

私の書いていることをこんな風に受け止めておられる。
私が書いていることをこんな風に自分自身が咀嚼しやすいように噛み砕いて呑み込もうとされている。
これはいい。
こういうのがいい。

憲法は、憲法学者のものでもなく、国会議員のものでもない。
憲法は、国民のものである。

国民の一人一人が、憲法を自分のものと実感できるような丁寧な作業を繰り返していくことが大事である。
憲法の議論を、自分の実感出来るようなものに変えていく、ということが大事である。

料理と一緒である。
レシピをいくら読んでも、それだけでは料理は出来上がらない。
素材を工夫して、時には熱加減や調味料の分量にも気配りしながら、くれぐれも手順を間違えないように丁寧にやることだ。
いくら似ているからといって、塩と砂糖を間違えるようなことはしてはいけない。
posted by 憲法フォーラム at 09:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月01日

憲法改正手続条項だけの先行改正は疑問

2012-12-23 11:43:27
テーマ:憲法
憲法改正手続条項の緩和だけ先行させる憲法改正は、本質的な憲法改正論議を妨げる
憲法は何のためにあるか、ということを疎かにしたままの憲法改正手続条項の緩和だけ目指す憲法改正には反対せざるを得ない。

まずは、憲法が誰のためにあるのか、憲法は何のためにあるのか、ということを考えるべきである。
憲法は国民のためにあるもの、憲法は国民を守るためにあるもの、と考えたら、そうそう簡単に憲法を簡単な手続きで変えてよい、ということにはならないはずだ。
憲法の条項はその時々の社会情勢で適宜変えるべきものである、ということになったら、確かに
憲法改正手続条項をより変え易いものに変えようということになる。
憲法の条項の中には確かにそういうものもあり得る。

したがって、一概に現在の厳格な憲法改正手続条項を墨守すべきでる、とは言わないが、しかしその一方で憲法は基本的に国の骨格を決めるものであり、その骨格を変えれば国の形そのものが変わるということもあるので、国の形を変えるようなものであれば現在の厳格な憲法改正手続きに従うべきである、ということになる。
憲法の改正手続き条項だけの改正を目指すのは本末転倒で、憲法改正と言うときは本来憲法の本体の改正、国の骨格にあたる部分の改正でなければならない。
憲法の附属的な部分にあたる憲法改正手続条項だけの改正を先行させようというのは、実質的に国の骨格にあたる部分の改正を簡単な手続きでやってしまおうという姑息な意図に発するものと言わざるを得ず、それでけで現在の憲法を潜脱しようとするものである。
こういうことは止めておくことだ。
脱法的な手段による憲法改正は、結局憲法の形骸化を促進するだけである。

憲法は国民が自分たちの憲法だと思って大事にするから国の最高規範としての価値を有する。
その時々の政権、政治権力の都合や便宜、あるいは特別の思惑等によって適宜憲法を改正できることになると、何が国の最高規範か不分明になる。
規範性を喪失した国家は、剥き出しの権力闘争の場になる。
勝ったものがすべてで、負けたものには何の価値もないことにもなりかねない。
規範性を喪失した国家の国民は、権力闘争の犠牲になってしまう。
国民を守るべき憲法が国民を虐げるようになったのでは、何のための憲法かということになる。
したがって、憲法改正手続条項の緩和だけ先行させる憲法改正には反対せざるを得ない。
もし、どうしても憲法改正手続条項の改正をしたいのであれば、国の骨格に関わる部分の改正手続と国の骨格には関わらない軽微な条項についての改正手続きの二つに分けて考えるべきであり、その場合でも単なる憲法改正手続条項だけを抜き出して改正論議を進めるのは明らかに正道を踏み外している。

もっとも、私自身もかつて憲法改正手続条項の改正を提案したことがある。
しかし、これは、私が実際の国会でどんな審議が行われているか疎い頃に、周囲の憲法改正論者の方々の言説に乗せられてどうやって憲法改正を実現するかという観点を重視して多少安易に提案した未熟な提案でしかない。

今、私たちが求めているのは、自分たちで自分たちの新しい憲法を創ることである。
折角創ろうとする新しい憲法が時の権力の都合で勝手に書き換えられてしまうような羽毛のように軽い憲法になってしまうことは、私は好まない。
さて、皆さんは如何だろうか。
posted by 憲法フォーラム at 18:16| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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